「飛ばなくてもいい」
                         

  誰も見ないようなところで笑む癖を
  悲しいことと思わなくていい
  痩身の月に背中の傷跡を語れよ
  君よ、飛べない君よ

  雨音の奏でる歌を聞きながら
  君が憧れた空は何処かと
  手探りの闇でもなく
  朝の来る闇でもないこの胸の中
  
  壊れていくものの数だけ
  数えては抜かれた羽を空に探す君
  地上では求めるものはないのかと
  僕の問いにも答えはくれない

  飛ぶための理由を求めて傷つくなら
  もう飛ばなくても飛ばなくてもいい


1991.08.12






「心音」
                       



       煙草の煙は
       海原の霧
       君の泣き声は
       霧笛なのかもしれない

       方向を失った船が
       座礁した先は
       見知らぬ岸辺で
       闇の中
       行くはずだった港の明かりが
       静かに点滅している

       鳥ならば
       間違えたりは
       しなかったろうか
 
       残された残骸が
       月を横切る鴎を真似て
       波に揺られ蠢いている

       何故だと言うのだ
       君

       互いの鼓動が
       別なリズムで
       時間を刻む
       同じ夜なのに


       

1998.1.21改編



「碧天」
                       


  鳥の啼く声のみ響く
  穏やかな日常

  空の落し穴に吸い込まれたか
  お前
  静かに両の手をあわせ
  溜め息で大地を白く染め上げる

  暦ではそろそろ春を迎えようとしているが
  この大地ではまだ冬の装いをやめようとはしない
  ああ だが
  逃れ様もない時の歩みの無情な優しさよ
  主人のない机の上に今も残る残骸は
  かくも美しく生を思わせるものであったかと
  艶かしいまでの現実を匂わせる文字

  先の潰れかけた万年筆を便船に滑らせれば
  けたたましい烏どもの声が響き渡る
  青天の霹靂のままに
  過去が嵐となって一瞬通り過ぎてゆく
  そうしてまた
  静かな沈黙が主人の机の上を支配する

  さぁ ごらん
  とうに諦めてしまった私達をからかうように
  写真の中の亡き人は
  笑顔を絶やすことはない

  わたし
  泣けなくなったのですよ

  静かにつぶやく声は
  薄碧い空に浸透して
  やがて静かに失われてゆく




                        1998/02/16
                        友人の命日に




「もう鳥になりなさい」



  冷たい雨に理由はない
  降り注ぐものに理由はない
  悲しいことや苦しいことには
  かならず理由はある
  泣かぬ理由を君は呟く
  晴天のせいだと君は言う
  雨の日ならば雨が代わりに
  なるから泣かぬという

  だけれど扉を閉ざしたままで
  僕らはこうして生きていくのか
  誰にも涙を知られぬままに
  生きていくのだろうか

  もう君よ 自由という呪縛を解いて
  知らぬ空へ向かわないか

  解りあえぬことを嘆くだけならば
  足元に広がるのは泥の沼
  君の声を聞こうと長い間僕は
  籠のなかに君を閉じこめた

  さあ もう鳥になりなさい
  君には翼が確かにある
  地上に残していくのはふるい記憶だけ
  新しい色は空で見付ければいい
  さあ もう鳥になりなさい
  不自由な空を自由な翼で飛ぶ鳥になればいい
  地上をふりかえる事無く飛び立てば
  知らない空はすぐ傍にある

  僕もそして
  知らない空へと旅立つだろう
  知らない空へと旅立つだろう



                     98/04/01




「ネオンサイン」



  ここにおいでと誘いかけるから
  ふらふらと吸い寄せられて
  また一杯 あと一杯と飲み明かす
  見知らぬ人々と酌み交わせば
  自分がなんぼかましに思えてくる
  でたらめな名前で呼びあえば
  旧知の友のような気さえする

  お客さんそろそろ看板だよと
  ふとっちょの女将が告げるまでは
  忘れて飲みましょう
  安酒を浴びるほど飲めば
  何もかも忘れられるような気がするけれど
  少しも忘れちゃいないから誰もがさらに酒を飲む

  ネオンサインは淋しがり屋を
  迎えるための暗号
  ここがいいよ
  あそこがいいよ
  どっちの水も辛いけどね
  どっちの水も辛いけどね

                       98/04/02






「海へ」


  海へ、海へ行こうとしていた
  冬の海へ行こうと思っていた
  破れた思いなど捨ててしまおう
  振り返るなんて不似合いだと
  言聞かせるために
  湿気った海風に
  背を押してもらうために

  誰が、誰が知るというの
  人の心の中ははかり知れない
  傍にいることだけが勝つことじゃないと
  そればかりが愛情じゃないと
  どこかの誰かがラジオで言う
  けれど愛しい人の傍には
  あってほしいじゃないか
  あたしの席

  鴎達が嘲笑うように
  自由に空を飛び回っている
  靴を脱いでまだ冷たい小波を受けて
  ただひたすら歩けば晴れ間が見える
  
  ご覧 鳥よ
  お前が飛ぶ空は
  何時でも晴れているわけではないけれど
  薄く遠い青が静かに 生きるものすべてを育んでいる
  終わってしまった恋など思い出にならなくてもいい
  せめて胸の中にくすぶる残り火を消しておくれ
  波よ、寄せる波よ

  海を、海を見たかった
  空と同じ色をした海を見たら
  もう一度翼を得られる
  きっと空を飛べるはずだから
  海で、海で貝殻の脱け殻を拾うのはもうやめよう
  からっぽの心一つ捨てたら
  私はもう鳥になろう
  私はもう鳥になろう

                         98/04/02





「雨」
                     


   降り注ぐものの名前を
   おまえは知っていたようだ
   足元を流れてゆく秘かなそれの行く先を
   問うのは愚か者のすること
   だから私たちは
   何にも言葉を交わさずに
   ため息ばかりを口移しに絡め合う

   それ ごらん
   
   あの重く汚れた着物を着た空でさえ
   こんなに容易く荷物を捨てているというのに
   私たちは何一切捨て去ることも出来ず
   かといって
   背負うこともただ苦痛と思いながら
   こうして濡れた地面を褥に
   一つに融合しようと
   何時までもあがいているだけなのだ
   私を受け入れるお前の扉は
   悲しく濡れて闇の中で震えている

   そうとも
   割れた肉片に隠れながら
   私の存在はやがて幾つもの雫となり
   お前の中に浸透するだろうが
   やがて閉ざされた扉の前で
   互い別々の水脈の中にいることを
   思い知らされる

   ああ ならば
   空から降り注ぐものの名を
   お前
   私におしえてくれないか
   ひとときの離別にお前の頬を伝うそれの
   その名前を
   教えてくれないか

   お前

                        98/05/26




「マイナス」




 ああ鳥の声が聴こえるだろう
 遠く低く哭いているのは幼子のようで
 あれ、ごらん
 捨てられてしまった心のかけらを
 一口頬張るのは
 みな悲しき詩人の宿命なのだよ

 不可思議の様式の中で
 笑いながら謳歌するものたちの
 魂に触れるたびに
 言葉はこぼれて
 からっぽになる
 心と
 記憶
                     98/09/17




「咳」
                     



  畜生
  コン畜生
  腹の底から出てきやがる
  あたいの身体の奥の
  他人みたいなものが
  あんたは出てけと
  出ていってしまえ、と
  喉の奥の方へと追いつめて
  追いつめられて

  畜生メ
  コン畜生メ
  
  摂氏マイナス10度
  窓硝子を容赦なく殴る
  雪でもなく
  氷でもなく
  ああ あたいにわかるもんか
  ベッドの真ん中で
  布団を被って身体を丸くして
  出ていくものか
  誰がいくものか、と
  そいつと戦うしかないんだ
 
  微睡むことすら許されない
  猛攻に耐えながら
  かあさん あんたの手を
  あたいは思い出している

  何時もだった
  そうともそれは何時もだった
  あたいが真夜中
  目に見えないあいつらと戦っている間中
  子守歌を歌いながら
  背に手を当てて
  同じ毛布で朝を迎えていた
  あたいが堂々と弱虫でいられた頃の
  古い記憶だ

  畜生
  コン畜生メ

  あたいが一人だとでも
  思っているんだろう
  あたいにかあさんの手は
  もう届かないとでも
  思っているんだろう

  だが あたいは覚えているんだよ
  かあさんの声も
  子守歌も

  守られない子供はいないよ、と
  かあさんがいってくれたろう
  あいつら、それを知らないから
  こんなにもあたいの身体の中で
  気ままにしてられんだろう
 
  負けるもんか、と唇を噛めば
  胸の奥から
  あたいの声が聞こえてくる

  畜生
  コン畜生


                       99/01/08




 「生きよ」
                           


  疲れたのなら 翼を閉じて
  飛ぶのをやめたなら 目を閉じて
  生きるのが辛いのなら 身体を横たえて
  じっと闇を待つがいい

  爪先から魂が抜けて 軽くなり
  くるぶしから膝へ 軽くなり
  膝から腹へ 軽くなり
  心臓のあたりに闇が来る

  やがて時間が停止して 星が降る
  己の存在を否定した 自らの存在がある
  等しく無になる魂の僅かな嘆きが 冷たくある
  やがて誰かが私を見つけてくれる

  名を呼んでくれないか 私の名前を
  名を呼んで 生きてくれと 言ってくれないか お前よ



1989.12.6

誤字等修正 1999.06.23





「 時 」
                      99/07/02


   何処へ行こうと悩みはしないのだろうか

   鳥よ
   お前のはばたきは 強い風を引き起こす
   私が両手をひろげてそれを真似ても
   静かな雨を呼ぶだけなのだ

   この指先からこぼれ落ちる言葉の一滴を
   飲み干してしまえたならば
   ああ 私は誰かが残す歌の一首を
   ただひたすらに愛することも出来たかもしれないと
   透明で
   不透明な湿地帯で今も埋もれる枯れ木になる
   身動きもできぬままに
   私は神に問う

   私の罪は 留まらぬものをせき止めて
   残そうとしたがため
   なればこの爪の割れた先から迸るものは
   罪の証となるべくして
   ゆっくりと真綿で私の心臓をくるむのだ
   語るべきことを見失う旅人を真似るのも
   愚かしいことだと
   笑っておくれよ
   雲よ 鳥よ

   だが

   そうとも だが これが罰なのではなく
   あなたの与えたチャンスだというのなら
   私は何れの花を咲かせるために
   両の手をひろげて水を求める
   求めた水をせき止めて
   私はあなたにその指の間からこぼれ落ちるものを
   こぼれ落ちて大地に染むものを捧げよう

   私の血肉が
   あなたの糧となるならば
   私の砂は静かに逆流をする
   神よ








「セイ」
                         99/09/29


   セイ 聞いているかい
   天上から明日お迎えが来る
   僕らの戯言があまりにも罪なので
   すべて摘み取ってしまおうというわけさ

   セイ きみのうたを久しぶりに捧げてみないか
   地上にほど近いこの瓦礫の王国の玉座に
   相応しいほど血塗れの雨を欲していたのは
   たしかに僕らだったはずだろう

   セイ 不実な愛憎を糧としての交わりは
   いったい僕らに何を残してくれるのだろうね
   いっそ月の満ち欠けに応じて呼吸をしようか
   それとも太陽の爛れるままに呼吸をとめようか

   ねえ
   セイ
   あれはどんなうただったの
   僕たちのSOSは誰にとどいたというの
 
   セイ
   臨月だよ
   僕らは産み落とすのさ
   明日 天上から迎えが来たときにね
 
   セイ